みんなの体験記CMLランナーズ

K さん

K さん (50歳代)

CML発症後年数9ヵ月

CMLと診断され、分子標的治療薬の飲み忘れに気をつけながら、治療を続けて9ヵ月経過した。長年の趣味であったランニングを自転車に切り替え、日本縦断を計画中。

取材者より

CMLと診断されたとき、冷静に現実を受け止め、「ではどのように生きていこうか」にシフトした、というKさん。海外駐在が長かったとおっしゃるとおり、その経験が少なからず影響しているような気がしました。また、息子さんが医学生のため、検査結果を詳しくお話しできる環境があったこともよかったのではないかと思われます。お話を伺って、温和で落ち着いた雰囲気のKさんの、温かい家族に支えられながら熱意を持って人生を生き抜きたい、という想いが伝わってきました。

診断前に覚悟はできていた

あれは会社の健康診断を受けた翌々日くらいだったと思います。勤務中に突然、会社の診療所から電話がかかってきまして、「白血球が多いから、今日来てください」と。体の調子が悪いわけではなかったので、何だろう? と思いながら、その約20分後に同じ建物の中にある診療所に行きました。そこでもう一度検査をし、「骨髄の検査」や「何度か通うことになる」という説明を受けて、大学病院の血液内科を受診するための紹介状をもらいました。
家族はとても心配してくれていました。実は息子が医学生なので診療所での再検査結果を、メールで伝えました。すると「NAPスコアが低いし、好塩基球も多いけれどCRPが低いから炎症じゃない。だから多分CMLじゃないかな。でも精密検査しないとまだわからないから」と返事がきました。すぐに調べてくれたのでしょうね。息子はその間、同時に妻や娘ともそういうやりとりをしていたようです。
そんなこともあり、自分でもインターネットなどで調べて「CMLの可能性が結構高いな」と覚悟していたので、約2ヵ月後に大学病院でCMLと診断されたときには「ああ、そうですか」という感じでした。とはいえ、確定診断が出たときにはFISH検査のデータをスマートフォンで撮って、息子に送っていました

いつまで働くことができるのか、という不安

大学病院でCMLと診断された翌日から薬を飲み始めました。初日は何ともなかったのですが2日後から、倦怠感というか、非常につらい感じになり、週末の3連休をほとんど寝て過ごしました。連休明けには回復し、以来、これまでどおりに勤務できています。
会社の上司には大学病院に行くために有給休暇を申請しなければならなかったので、すでにCMLのことは話していました。たまたま上司が理解のある方で、診断結果を報告したときも、「まぁ、大丈夫だから。薬を飲めばいいんだよ」と言ってくれました。それで少し気持ちが楽になったのを覚えています。ただ、そのために気を使われて、できる仕事や責任の範囲が変わってしまうのは嫌だと思ったので、今はまだ上司にしか話していません。
診断当初は、まず経済的なことが心配になりました。治療費のことだけでなく、息子がまだ学生ですから、CMLになっても働き続けることはできるのか、この先何歳まで働けばいいのか、逆に65歳まで働くべきか、などいろいろと考えました。それまでは、65歳まで働くことは当然だと思っていましたが、CMLになってからは何歳まで働くのか、といったことを改めて考え出しました。治療によってCML患者も平均余命に近づいたとはいえ、健康な人とまったく同じとはいかないでしょうから。また、母親を病院に連れて行くときは介護休暇にするなど、有給休暇を減らさないように工夫しようかな、と思うようになりました。

家族が支えになっていると実感

CMLの発症を機に⼤きく変化したことは、定年後も再雇⽤で働くことが当然ではなく、何歳まで働けるかなどと考えるようになった以外は特にないように思います。診断後に激しく落ち込んだりすることもあまりありませんでした。最初は「いやぁ、まいったな」という気持ちはありましたが、海外赴任が⻑かったせいなのか、そういう性格なのか、もう事実は事実と受け⽌めて、ただ対処していく、というだけですね。
そんな感じの私ですが、今回改めて家族の⽀えのありがたさを感じています。昨年の冬、インフルエンザの予防接種を受けておいたほうがよいということがわかったときには、すでにワクチンが供給不⾜に陥っていました。しかし妻が⼿を尽くしてくれて、どうにか受けることができました。やはり妻が⼀番の⽀えになっているのでしょうね。妻は年末に、「みんな何もなくいい年だった」なんて⾔いましたよ。私がCMLになったのに、それを忘れているのか、会話も態度も今までと変わらないですね。そうやって、今までと変わらず接してくれているのはありがたいですね
それから、これは私の親としての願望なのかもしれませんが、私がCMLになってから、息⼦が「医者になる」という意識がさらに⾼まったのではないかと思っています。成績もCMLになってからのほうがいいらしいです(笑)。

CMLになって気をつけていること

CMLになって、一番気をつけていることは、薬を飲み忘れないことです。スマートフォンに服薬アプリを入れていますし、薬のシートの横にマジックで日付を書き入れて「これは何日に飲む分だ」ということがわかるようにしています。万が⼀、飲み忘れたときのための対策として、出先でもすぐ飲めるように常に1回分は持ち歩いています。外出先で思い出して、妻に電話して飲んだかどうかを確認することもあります。⽇付を⼊れてあるので、飲んでいなければ⾒ればわかりますから。
病院の先生方とのコミュニケーションも良好に保っています。一度はインフルエンザの予防接種を受けたほうがいいか質問するのを忘れて、後でワクチンがなくて慌てましたが、これまで海外で医者にかかるときには事前に予習したり話すことをまとめておいたりしていましたので、それを思い出して疑問点をノートにメモして受診することにしました
食事にも少し気をつけるようになりました。体重管理のため、社員食堂などでは、一番カロリー表示が高いものは食べない、と自分なりにルールを決めています。かつてはランニングをしていまして、体重が増えたら走って減量していましたが、今は走るのをやめてしまったので、体重のコントロール方法を変えたのです。

やれることはやってみよう、と自転車に挑戦することに

これまで25年くらい、趣味でランニングをしていました。もちろん海外赴任先でもずっと走っていました。ところがCMLになる半年くらい前からふと、もう年をとってきたからランニングはやめてウォーキングにしよう、と思いました。それでウォーキングシューズも買ったのですが、それほど熱を入れることなく、そのうち健診があって、検査して、CMLと診断され薬を飲み始めて、そしてそのままになってしまいました。
このところ「疲れやすい」という状態が続いています。CMLの状態は検査で確認できているので、CMLのせいではないと思います。ですから薬の副作用なのか、それとも年齢のせいなのか、あるいは他の病気のせいなのか、原因がよくわからないのが嫌ですが、この先どこまで自由に過ごせるかわからないので、やりたいことはやっておこうと、自転車でできる限り長距離を走ってみたいと思っています。どこまでできるかわかりませんが、私のニューヨークの友人でアメリカ大陸を自転車で横断した人がいるのでそれに倣って、「アメリカは無理だけど日本縦断はしてみたいな」と思っていたこともあり、休暇ごとに少しずつ距離を区切った「日本縦断」を計画中です。これも妻を巻き込んでおくと何かとことが進みやすいので、先週も妻と一緒に自転車屋を覗いてきました。これまでのパターンからすると、自転車を新しく買っても実際に乗るのは私だけだと思いますけどね(笑)。

CMLランナーズ 私の一足

ニューヨークシティマラソンでベストタイムを出したランニングシューズ

ニューヨークシティマラソンでベストタイムを出したランニングシューズ

これは、海外赴任中、ニューヨークシティマラソンで『3時間26分52秒』というベストタイムを出したランニングシューズです。そしてこのニューヨークシティマラソンの記録によって、ボストンマラソンのエントリー資格が取れたのです。ボストンマラソンに参加するには、エントリー資格タイムが必要なので、そのためにずっと頑張ってきました。それがやっと達成できたのがこのシューズを履いて走ったニューヨークシティマラソンでした。このシューズでボストンマラソンと、さらにシカゴマラソンも走りました。30代の初めに初めて走ったマラソン大会で出した記録がベストタイムで、それから何度走ってもなかなか更新できず、すごく悔しくて何のために走っているのかな、と思っていたのです。それでも走ることを続けて、40代になったけれどベストタイムが出せたのです。だからこのシューズは「頑張れば結果が出る」ことを思い出させてくれるシューズなのです。日本に帰ってきてからはほとんど使っていませんが、他のシューズは捨てても、これだけは思い出のシューズとして保管しています。