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白鳥 麗子 さん

本当の病名を告げられないままのつらい治療

それから間もなく、本当の病名を告げられないまま、骨髄移植をすることになり、家族全員HLA適合検査を受けました。ちょうどその年の年末に骨髄バンクが設立されましたが、登録などの実質的な稼働はまだされていなかったので、この頃は親族間での移植しか行われていませんでした。検査の結果、妹とHLAの型が合うことがわかり、ドナーになってもらうことになりました。
移植は副作用や合併症との闘いでした。しかし何より耐えられなかったことは、前処置で髪が抜けてしまったこと――私は幼いころから、ひと一倍髪へのこだわりが強い性格ではありましたが、そうでなくても20代の女性にとって髪を失うことはたまらなくつらいものです。一時的なものなら我慢できたかもしれませんが、移植が終わった後もなかなか元通りに生えそろわず、長いこと精神的に苦しむことになりました。
ちょうどその移植前の一時退院のときに化粧品会社のモデルの仕事をさせていただく機会がありました。スタッフの方々から「待っているから頑張って治療してきて」と応援していただき、また元気になったらお仕事をさせていただけることを励みに治療に耐えていました。しかし実際には、移植後も元通りには髪が生えそろわず、再びそのお仕事をすることはありませんでした。
移植後しばらくは、吐き気や口内炎がひどく、無菌室で寝たり起きたりの生活でした。
両親は交代でずっと付き添ってくれました。当時、無菌室は医療関係者以外立ち入り禁止でしたので、あくまでガラス越しの面会です。でも、両親はひとときもその場を立ち去ろうとせず、とくに母は心配だったようで、絶えず私を見つめ続けているのです。
たまらなくなって、思わず「そんな目でみないで」と口走りそうになりました。ただ、母の気持ちは痛いほど伝わってきましたし、自分が母を苦しめていると思うと、何も言えませんでした。
しばらくして退院して体調が戻ると、移植から1年後に大学に戻ることができたのですが、やはり見た目の変化に対する周囲の目を気にしないわけにはいきませんでした。周りはみな若い女性。当然のように髪や身なりを綺麗にしている中、私はつねに帽子をかぶり、どうにか髪が薄い姿を見られないようにと、必死で隠す毎日・・・。「こんな思いをするのなら、死んでしまったほうが良かった・・・」と思うほどつらくてたまりませんでした。私にとっては、髪を失うことは死ぬよりつらいことなのです。
たしかに、移植を希望しても受けることができなかった患者さんにとってみれば、私は恵まれていたと思います。命が助かったのに、そんな髪の毛のことなど何を言っているんだ、と言われることもありました。もちろん、治療を受け、助かることができたのはたくさんの周りの方々のおかげですし、心から感謝しています。しかし、どれだけつらいか、どのようにつらいかは患者本人にしかわかりません。「患者」になった途端に、髪を失ったことを嘆くことすら不謹慎ととらえられてしまうことに、とてもやりきれない思いでいっぱいでした。

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