トップページ > みんなの体験記 CMLランナーズ > 川野 曜子 さん

川野 曜子 さん

もし「余命がない」と言われても、最後まで光を見つけられるような人間になりたい

移植後、退院しても当初は手がブルブル震えて、足もカクンカクンして、「こんなので退院して良かったの?」「こんな状態で私、病院に通えるのかな?」とすごく不安でした。
後遺症で体力が戻らず、数カ月はきつかったですが、少しずつ体調が良くなってきて、移植2年後には居酒屋で働き始めました。お酒が好きで、料理を作るのも大好きだからです。働き始めるにあたって、病気のことを店長に話したら、「やれるところまでやってみれば?」と言ってくれました。男性ばかりの職場で、最初はみんなについていけるかどうか不安だったけれど、やってみたら意外とできて(笑)。今では「働かなきゃ。毎日の生活がかかってるんだから、きついとか言っていられない」と思って働いています。
働く一方で、患者会のイベントがあれば、なるべく参加するようにしています。病気になって、親や友達に心配をかけたことや先生に迷惑をかけたこと、看護師さんにいつも話し相手になってもらったことなどを思い出し、「ああ、みんなに感謝しなくちゃいけないな」と気付き、初心に帰ることができる、私にとってそういう場所です。不妊という結果がついてきたから、できれば病気なんかしたくなかったけれど、病気になって築いた人間関係、先生や看護師さんと、打ち上げでお酒を飲めたりするのは特権だ(笑)、と思います。
今、CMLの治療をしている方には分子標的治療薬があって、私は本当にうらやましいです。「もうちょっと時代が遅れて発症したら、私も不妊にならなかったんじゃないかな」と思ったりします。でも、今の患者さんも悩んでいて、辛くて大変なんです。きついんです。今、私が苦しんでいる当人の気持ちになれるかといったら、なれないかもしれないけれど、経験したからこそ、きつい気持ち、辛い気持ちも少しはわかる。
私は、「あなたの余命はあとわずかです」ともし言われても、最後までその中で少しでも光を見つけられるような人間になりたいと思います。生きている間だけでも有意義に過ごそう、という前向きな気持ちを持っていれば、病気も吹き飛ばせるんじゃないかと思うし、もし吹き飛ばせなかったとしても、不幸せじゃなくて、幸せだったという実証になるんじゃないでしょうか。
前は死ぬことが怖かったけれど、今は別に怖いとは思わないです。もし病気で死ぬとしても、それは「ああ、寿命か」と素直に受け入れられる、そんな感じがします。若くして亡くなったとしても、それは悲しいことではなく、その人の人生をやり終えた、ということだと思います。命ある限り、一生懸命生きぬく事が大事なのではと思えるようになりました。

6/7

前のページ
次のページ
インデックスへ戻る