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杉田 望 さん

たった一人のドナーさんに断られ、母と始めた 骨髄バンク設立への活動、そして移植のために遠方へ

自分がCMLだと知ったころ、まだ公的な骨髄バンクはなく、民間の骨髄バンクが九州と東海にあるのみで、そこに一人だけドナーが見つかっていました。秋ぐらいには移植の話になるかなという感じだったのですが、ドナーから連絡がなくなって、その移植はだめになってしまいました。そのたった一人に断られたときは本当に焦りました。もうだめかもしれないと思いながらも、母と共に骨髄バンクの設立のため、啓発運動や患者会の活動を始めるようになりました。そのあと公的な骨髄バンクができて、ドナーが見つかり、発病から1年10カ月で移植となりました。
当時、私の住んでいた地域では骨髄バンクを通した移植が1例もなかったので、いろいろ考えて、移植の数が多く、バンクを通した移植も行っていた病院で造血幹細胞移植を受けました。大きな病院だったので、自分と同じような病気の子、同じような年代の子が10人ぐらいいました。僕ぐらいの年齢で移植した子も5~6人いましたが、移植した子はみんな亡くなってしまいました。僕だけ生き残ったような感じで、正直移植はしないほうがいいなと思ったこともありました。
移植後は免疫抑制剤を飲んでいる間、血糖値が上がり、インスリンを1年ぐらい自己注射していましたが、免疫抑制剤がなくなったと同時にインスリンも打つ必要がなくなり、その時点でCML治療に関する薬の服用は全部なくなりました。

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