みんなの体験記CMLランナーズ

山岸 伸 さん

山岸 伸 さん (60歳代)

CML発症後年数約3年

分子標的治療薬で治療中。俳優やタレントのポートレート撮影を中心に第一線で活躍しているカメラマンであり、ご自身の闘病についてもテレビ、新聞や雑誌などさまざまな媒体を通じて公表されている。
山岸 伸さん公式サイト http://www.yamagishi-shin.com/

取材者より

華やかな世界で活躍されている山岸さんですが、ご自身の体調やCMLに対する今の思いについて、率直なお話を時間をかけてお聞かせ下さいました。
取材日はちょうど通院日で、「少し前から体調がすぐれない状態が続いていたこともあり、今日は病気を治すために他にできることはないのか?という苛立ちを、主治医にぶつけてしまった」とおっしゃっていました。たとえ治療効果が得られていても、治療継続が求められる病気である以上、服薬に伴い感じる煩わしさや、今後悪化するかもしれないという不安を日々感じ続けなければならないという辛さがあるということを、改めて感じさせられました。
余談ですが…。山岸さんのスタジオをお借りしてインタビューをさせていただいたのですが、お話中に山岸さんが「おい!」と一声かけると、スタッフの方が間髪置かずに会話に上っていた本や写真集を差し出されていました(しかも該当ページを開いて、です)。その様子に、カメラマンの世界の厳しさと緊張感を垣間見たような気がしました。

糖尿病の検査を受けた時にCMLが見つかった

僕がCMLと診断されたのは2008年12月で、以前から軽い糖尿病があって通っていた大学病院で、血液検査の結果に異常が見つかったんです。それまでの白血球数の推移などからCMLが疑われ、血液内科で詳しい検査を受けた結果、CMLと確定診断されました。
診断された当時、僕はちょっと大きな仕事を手がけていたので、治療開始のための入院はその仕事が終わるまで延ばしました。でも、病気のことが気になって仕事に支障が出る、ということはなかったです。CMLと診断されてすぐ、この病気についてインターネットで調べたり本を読み漁ったりしたので、ある程度知識を持っていたし、友人の医師たちに話したら「今はいい薬があるから大丈夫だよ」と、みんなかなり軽い感じで言っていましたしね。
入院したのは、診断から3ヵ月後の2009年3月23日、誕生日の翌日で、分子標的治療薬の内服と併せて、糖尿病の治療としてインスリン注射も始めました。入院後数日で、万単位あった白血球数が激減し、薬の服用による痒み、気持ち悪さや吐き気も3日くらいで慣れました。
CMLと診断されてすぐに、息子へ「お父さん、もう死んじゃうからね。サーフィン頑張れよ」なんて電話をしたのだけれど、この病気は体を切るわけじゃないから、入院中もピンピンしているわけです。見舞いに来た息子は、僕が特別室でテレビを見ている姿を見て笑っていましたね。
入院と言っても、朝に薬を飲んでお昼まで各種検査を受けるだけ。その頃、仕事の関係先には病気のことを話していなかったので、やらざるを得ないレギュラーの仕事は入院先の知り合いの医師に一緒にスタジオへ来てもらって、こなしていました。

CMLであることが図らずも全国に知られてしまったけれど、後悔はしていない。

CMLになったことは、初め事務所にしか言っていなかったけれど、何かのきっかけで話が漏れてインターネットのニュースサイトで取り上げられてから、公然と話すようになりました。
仕事関係を含め、多くの人たちに図らずも病気のことを知られることになったけれど、後悔は全然していません。そもそもCMLは人目を気にして隠すような病気ではないと思うし、人は誰しも何らかの病気になるんだから、なってしまったら協力し合っていくしかないじゃないか、というのが僕の考えです。
2011年4月に日本テレビの「リアル×ワールド」という60分番組で、僕の生活に密着したドキュメンタリーが放送されました。その時に視聴者から700通くらいのメールをいただいて、すべて読んだけれど、悪口が書かれていたものはほとんどなかった。病気の人間には「頑張ってね」とか「心配していますよ」ということ以上にかける言葉はないだろうと思うけど、そういう言葉をわざわざメールで送ってくれた人たちに対して、素直に「ありがとう」と思いました。あと、30年くらい前に会った人が、びっくりしたと言ってメールをくれたのには、「ああ、こういう人も僕を心配してくれたんだ」と励まされましたね。
この番組の放送前日には、英国のウィリアム王子の結婚式があったんだけど、Googleのデイリーの検索ランキングはウィリアム王子より僕の方が高かったんですよ(笑)。

仕事中は集中して、病気のことを忘れるけれど・・・

病気を公表したから、仕事を一緒にする人はみんな「大丈夫ですか?」と心配しながら来てくれるけれど、僕が平気で仕事をしているものだから「ああ、よかった。元気で」なんて言ってくれます。僕は恵まれているから、朝は嫌でも車が迎えに来て、それに乗って職場へ行ったらちゃんとセッティングされていて、明るい女の子たちがたくさんいる中で「おおっ」とか言いながら写真を撮る。その瞬間は元気になるよね。写真を撮っている時はすごく集中するから、病気のことは大体忘れちゃうんです。
でも、重いカメラは辛くなってきたから軽いカメラを使っていますし、撮影では撮るものを集中して見ないといけないのに、眼がむくんで涙腺がつぶれて、変なところから涙がずっと出ているので不自由を感じます。体力が続かなくなっているから、仕事を離れたらご飯を食べてすぐに寝てしまう。糖尿病だから運動をした方がいいと言われるけれど、歩くことさえ辛くてふらふらしているのに運動なんかできるわけがない。プライベートは、入院しているのと変わらないですよ。

カメラマンとしての誇りと経営者としての責任が、仕事を続ける支えに

CMLになったからといって、「撮る写真が変わりましたね」と言われたことはありません。僕は仕事をいただいて写真を撮る職業カメラマンであり、自分の好きなものを自由に撮る写真家ではないんです。
以前、鳩山由紀夫元首相の「政権交代。」というポスターを撮りました。撮影者の名前は出ないから、言わなければ僕が撮ったことは誰にも分からない仕事だけれど、そのポスターが日本中に貼られた結果、本当に政権が変わった。日本の政治が大きく変わる瞬間をも撮る、職業カメラマンとしての仕事を誇りに思っています
仕事に対して信念とか志があるわけではありません。生まれてきた以上、仕事をして食べていくしかないから努力する、それだけです。カメラマンを32年やっているけれど、最初は仕事が全然来なくて眠れないくらいだった。仕事をもらうためには努力が必要なのは当然だけど、あとは運。僕は多分、仕事で運を全部使い果たしちゃったんじゃないかな(笑)。だから60代に向かおうっていう時に病気になっちゃった。
僕の生き方で、病気と仕事のどちらを選ぶかと言えば、体調が悪いことを若干無視してでも仕事を選びます。簡単な話、給料を払っているから周りに人がいるわけで、払えなくなったら人はいなくなる。周りに誰もいなくなって生活ができなくなったら、死んでしまうでしょう?それに、僕は後輩を育てない人なんてありえないと考えているから、弟子もいます。周りの人たちが僕の支えになっているのではなく、僕が給料を払ってみんなを支えているんです(笑)。経営者としての責任もあるから、頑張らないといけないね。

CMLの治療は基本的に現状維持だ、ということが今はとても辛い

僕が人前で元気そうにしているから、白血病に限らずいろんな病気の人が僕を頼って連絡をくれるんです。この間は、悪性リンパ腫で1年くらい入院していた人と会いました。その前に彼と会った時は、抗がん剤のせいで頭がツルツルで、帽子を被ってマスクしているものだから「もう死ぬの? 俺より先に逝っちゃうんだ」みたいな話をしたのに、この間会ったらこれから仕事をするということで、薬も飲んでいなくて、何となく元気そうなんです。「復活だね。今日は俺より状態がいいんじゃない?」なんて話をしました。癌で難しい手術をしたけれど元気になって、「俺は手術で治った。お前の病気の方が薬を飲み続けないといけなくて、かわいそうだね」と言う人もいます。
主治医の先生はとても良い先生なので、本当に命を預けている。けれど、病気が分かってから3年以上経ち、最近体調が良くないこともあって、「このままでいいのか」「他にできることはないのか」と考えることが多くなりました。本人的には前に行きたいのに、止まっている、という感じがあります。「薬があるから生きているんですよ」と言われればそうだけれど、「このままの治療でずっと行ったらどうなるの?」と考えるとね…。
今ある薬は、基本的に病気の進行を止める治療薬だから、いつ進行のスイッチが入ってしまうのかは分からない状態。血液検査に行くたびに不安になるのは辛いですよ。僕なんか生まれつきエネルギーがあって、普通の人と比べたら100倍くらい精神力が強いけれど(笑)、そんな人間でもめげちゃう時があるんだから、普通の人なら大分へこんで、うつみたいになっちゃうこともあるんじゃないかな。
「どうしたらこの病気が治るの?」という問いの答えを、誰も教えてくれないんです。実は最近、15年前からの禁煙を破って煙草を吸い始めました。何とはなしに吸い始めたんだけど、多分、病気に対しての苛立ちがあったんでしょう。「煙草を吸ってこの病気になったんじゃない。煙草を吸ったからって何だよ」という気持ちがありますね。
僕は集中力とか瞬発力で仕事をしてきたので、現状維持で長引くことが本当に辛い。治すためのきっかけでもチャンスでも何かくれたらいいけれど…。確かに、CMLで切羽詰まった人はそんなにいないかもしれない。でも、みんな多少の体調の悪さは毎日ずっとあって、それを我慢しながら生活しているんです。下痢がひどい、吐き気がするなどの症状は、言わない限り誰にも分かってもらえないけれど、頻繁に起こるから、治療が長くなると人に言うこともなくなってくる。でも本人は苦しんでいるんです。
僕がさまざまな媒体でCMLの話をしているのは、CML患者として「治りたい」、「CMLのみんなが治るための研究をしてもらえたらいい」と願うからこそなのです。

CMLランナーズ 私の一足

友人が作ってくれた「腰にやさしい靴」

友人が作ってくれた「腰にやさしい靴」

TOP SHOES

僕はすごい数の靴を持っていて、ナイキのスニーカーだけでも100足以上。一度も足を通したことがないものがたくさんあります。そんな中から、「私の一足」として友人の作ってくれた「腰にやさしい靴」を紹介します。

僕はCMLのほかに、難病(特定疾患)である「黄色靭帯骨化症」という病気も持っています。いわば病気のデパートです。
それで腰が弱くなっていることを知った友人が、この靴を作ってくれたんです。
彼は一人でコツコツと靴を作り、携帯電話の通販サイトで販売する仕事をしています。僕はずっと前からそのコンテンツ用に写真を提供しているんですが、病気のことを色々と話していたら彼が、「カメラマンは動き回るし、前かがみになって腰も使うから、身体によい靴を作りますよ」と言ってくれて。採寸しようと言うから「僕はそんな高価な靴は履かないよ」と言ったら、「いや、プレゼントしますよ」と。まあ、昔から貸しは随分ある奴だから(笑)。
そういう経緯で作ってもらったこの革靴は、靴底が少し上げ底になっていて、前に重心がかかる仕組みになっています。それで腰に負担がかからないようになっている。ただ、履くと背が高くなるところが、シークレットブーツを履いているみたいで嫌なんだよね(笑)。履き心地は抜群だから、「ジーンズに合わせやすいように、もっとデザインを良くしろ」と言っているんです。
この靴を履くと5cmくらい目線が高くなります。わずか5cmの差でも、スニーカーを履いている時とは見える世界が大分違う。撮る写真も変わるんですよ。

*黄色靭帯骨化症
脊柱管の後ろにある黄色靱帯が骨化し、脊柱管が狭くなり、神経の圧迫症状が出現してくる病気。